2009年6月5日
論語。
論語などまったくもってふるーい。あれは江戸時代のこ
どもが寺子屋などで習ったものである。声をそろえて、
しのたまわく・・・
というか、それよりもなにも、孔子様が生きていた時代
は紀元前2世紀ころで、4千年も前のこと。邪馬台国よ
りはるかにふるい古色蒼然としたお伽話のような時代で
あって、そんな古い話がコンピューターでネットワーク
された現代に通用するものかァ? とおもっていたが、
どうやら、そうでもないようだ。
新潮新書の「大人の見識」阿川弘之:著を読むとこんな
ことが書いてあった。
阿川さんの大学生の息子さんが家に友達を連れてきた。
ちょうど阿川さん論語についてエッセイを書いていたと
ころだったので聞いてみた。
「君たち論語の中の好きな言葉ってあるだろう? 嫌い
な言葉でもいい。なにか言ってみてくれ」
と言ったら、
「論語ねぇ・・」
誰も答えられない。おやおや、今の大学生は江戸時代の
熊公八公より劣るのかと驚きましたと。
そこで、阿川さんは川柳を見てごらんなさいという。
「北辰のやうに番頭大あぐら」
この川柳はわたしも初めて知ったのですが(つまり江戸
時代の熊公八公より劣っているのです)、これは、
「政を為すに徳を以てせば、例えば北辰の其の所に居て、
衆星の之に向かうが如し」
という論語をふまえているのだそうであります。といわ
れてもナンのことやらわかりませんが、川柳の意味を阿
川さんが説明してくれています。
つまり、北極星がちゃんと定位置にあって他の星がその
まわりをめぐっているように、帳場であぐらをかいて威
張ってる大番頭と、まわりで小忙しく立ち働いている丁
稚小僧。という意味の川柳で、立派な店の店先の風景を
諧謔味をこめて詠んだ句だそうです。
ナルホドねえ・・
続いて、こんな川柳も紹介してくれます。
「抜けた夜着 居ますが如く ふくらませ」
これはなんとなくわかるような気がします。寝てるいる
かのように蒲団はふくらませてあるが、どこかに行って
しまっている様子を詠んだんでしょう。まあ、きっと道
楽息子が寝床を抜けだし女あそびにでも出かけたんでし
ょう。
これも「祭るは居ますが如くす」という論語からきてい
るらしいです。この論語はわたしもわかります。小笠原
に小さな神社があって、しかしいつしかだれも管理する
人が居なくなって、居なくなってからは霊験もなにもな
くなって・・・と聞いたことがあるんです。そこに宿る
神がいると信じて守る人が居てはじめて神社であって、
祭る人がいなけりゃ神社なんてただのふるぼけた建物に
すぎません。祭るは「居ます」が如くする。であります。
まあ、それを女あそびにでかけた道楽息子の「居るふり」
にひっかけるなんて、江戸の川柳がいかに洒落ているの
かとわかっておもしろいものだが、こういう例題を紹介
されると、つまり、意味を抽出し諧謔味をくわえた物が
川柳であるから、論語=しのたまわく=学問=儒教=ふ
るくさい今は価値のないもの、ではなく、人間生活の心
理を抽出したある種の賢者の言葉としてとらえることが
できるのじゃないかと。であれば、おもしろかろうと思
えてきたのである。
しかも論語は短いと阿川さんはいう。
例えば「温故知新」=古きをたずねて新しきを知るは、
たった四文字です。「学而第一」からはじまって「堯曰
第二十」にまで約500の章句のうち、20字以内(原
稿用紙1行以内)に収まっているのが206項目。その
他の300項目が40字以内(原稿用紙2行以内)。現
代の文庫本にしてぺらぺらの本となるのです。つまり、
ほんとうにたいせつなことは二た言三言で言いつくせる
ものだということがよくわかります。ですから、阿川さ
んは、よくわからなくても声を出して読んで覚えてゆけ
ば、今はわからなくても、いつか、意味はあとで段々わ
かってくる。これは将来必ず読んだその人の知的財産に
なるのですと言っていた。
司馬遼太郎も、藤沢周平も、開高健も、ヘミングウエイ
も、エド・マクベインも読み、孔子も読んでみようかな
と思う今日このごろ。ハノイの孔子廟を訪ねたときにこ
れを知っていればまた違ったものになったのだろうと思
うが、それはそれでいい。将来の知的財産になればいい
と阿川さんはいってるのだから。
そろそろ梅雨入り。雨読の6月。