秋の天ぷらや
一日の仕事を終え事務所を出ると、短くなった陽も暮れ落ち外は暗くなっていた。秋風もたちすずしくなってきたので、秋の味覚を楽しもうと、ひさしぶりに六本木の天ぷらや「与太郎」を訪れる。
六本木の交差点を越え、俳優座の手前を左折し、坂を上り、小学校を過ぎ、坂が下りにさしかかる手前にこの店はある。与太郎と染め抜いたのれんが風にゆれていた。
この店の開店と我が社の設立がほぼ同じ時期で、もう十何年来のつきあいになる。
「こんばんは」
「おひさしぶりです。お元気でっか」
大阪にある料亭「与太郎」からののれん分けの店で、大将は大阪弁をしゃべる。
最初に、鯛と牛肉のにぎり寿司が出て、それから天ぷらのコースが始まり、最後は鯛飯となり、仕上げのデザートは、レンコンの澱粉で作った自家製の柔らかい羊羹でコースは終わる。飲み物は白ワインの事がおおい。今夜はシャブリを注文。
「おまっとうさまでした」
と最初の天ぷらが揚るが、すぐには食えない。
「どないしました。あったかいうちが命です」
「わかってますが食えないんです。猫舌なんで」
「長男でっか」
「あれ?なんでわかるんですか」
「長男長女は猫舌が多いんです。天ぷらやのオヤジがゆうてるんじゃありませんよ。医者のセンセがそうおっしゃいました。ちいさいころ、ふーふー息を吹きかけて冷ましてから大事に大事に食べさせるでしょう。猫舌になるんはきっとあれでんな」
「だからうちの娘も猫舌なんだ」
と云いながらふーふー冷ましながら天ぷらの揚げたてを食っていると、甥っ子から「子供が産まれました」と電話が入った。
「田舎にいる妹に孫が生まれ、妹は40代ですが、ばあさんになりました」
「そらよろしでんな。実は私どもも1才になる孫がいますんですが、私も女房も、もうトロトロですわ。孫よろしですな」
「そんなに甘いようじゃ、大将のとこの孫は確実に猫舌だね」
「確実でんな〜。はははははははは」
と大将が相好を崩して大笑いしているところに、大阪時代からのお馴染みさんらしきお客さんがあらわれた。
「阪神あと一つで優勝やで」
「ほんまだっか。前祝いでっか今夜は」
猫舌から孫から阪神優勝まで一足飛びに話題が移り、にっこにっこの笑顔の大将に「また来ます」と声をかけ店を出た。
「どーもおおきに。どーもおおきに」と入り口まで見送りに出た大将の頭の上でのれんは風に揺れていたが、ゆらゆらと笑っているように見えた。