志ん生人情話
古今亭志ん生の「穴釣り三次」を聴いていたら、語り出しはこう
だった。
エ〜この話は人情話というやつで、落語とはちがいまして、笑う
ところは、まあ〜ありません。三遊亭圓朝がつくって、明治大正
昭和と語りつがれてきた話ですが、今夜は、その中で「穴釣り三
次」という話を聞いていただきますが、こういった話は話百回と
申しまして、それから、初めて高座にかけて、お客さまに聞いて
いただくものですが、、、、
不勉強だったが、人情話は新作落語とか創作落語とはちがってい
ても、昔から高座で語られてきた伝統的な落語の、その一種類か
とおもっていたから、「人情話は落語とはちがいまして、、」と
聞いた時、目から鱗が落ちたような気がした。
落語は、話芸でおもしろおかしく客を笑わせるものだが、人情話
は、ストーリーテイラーに徹するという話芸の極みだったのだ。
寄席で客は、江戸や大阪に伝わる無名の市井の人々の人生を人情
物語として聞くのだろう。ナレーションではないのだから余程の
力量の持ち主でないと語れるものではないと想像する。
志ん生の息子の落語家・故志ん朝の芸を語る時も、人情話の名手
であったという言い方がされるのは、そういうことであったのか
と、初めて知った次第。
志ん生は、人情話は話百回と申しましてと、百回稽古してから初
めて高座にかけるといった後に、
まあ〜、私はどうもそういうことではないんでありまして、これ
がどういう分けか、出たこと勝負でありますので、いつもこうい
った話ができるものではなく、ですから、たまにしかやりません
ので、今日の話がどうなるか、ええ、自分でもよくわからないん
で困ったもんでありますが、、、
と続け、長い人情話の入り口で、客を語り手の志ん生の世界に引
き込んでおいてから、その話の背景である時代を小話ふうに語り、
いくつか笑いをとり、そのあと、1時間におよぶ人情話が語られ
る。
登場人物の中の嫌われ者である番頭に対する悪口などの場面では、
いかにも志ん生らしい軽妙な語り口で笑いを誘う場面もあるが、
落語とちがいまして、といった通り笑いは一切ない。もちろんオ
チなどはなく、
さて、この粂乃助。それから一生懸命商売に励み、めでたく暖簾
分けをゆるされ一代で立派な店を作り上げたという、圓朝が伝え
る「穴釣り三次」という話でございます。と終わる。
今時、人情話など高座にかけても人気などはあがらないだろう。
人気に背を向け、話芸を磨くことだけに徹しなければ人情話など
語れたものではないし、聞けたものでもないだろう。
最近は落語ブームらしいが、「落語家なんて、何も手に技術を持
っているものではない。口先だけで生きていこうとするその心持
ちが粋なだけでありまして、屁のようなもんです」と、語い切っ
た志ん朝のような落語家は二度と出ないのではないかとあらため
て感じた。
今、人情話を語れる噺家は誰がいるんだろう。どなたか知ってい
る人がいたら、教えていただけないか。さっそく高座に駆けつけ
たいのだが。
人情話の入り口で志ん生は、その話の背景である時代を語ると書
いたが、
この話は下谷の話ですが、上野があるから下谷がある。昔はそう
いうつながりがあったんですな。三味線池という三味線の形をし
た池の向こうが三筋町。三味線の弦が三筋ですから。また上野に
は長者町というのがありましたので、それで上野の鐘(金)はう
なるとこう呼ばれたもんです。義経町の周りは義経四天王の名前
が町名になっているものです。そういったように、つながりがあ
るんですな。
などと語り、江戸時代の人々のセンスも知ることになる。
人情話は、勉強にもなるなあ。
勉強熱心な私は(笑)、車に乗る度にこの人情話のテープを聴い
ているものだから、後部座席に座ったかみさん(どういう分けか
隣には座りません)が話しかけてきてもいつも生返事で、かみさ
んには、いささか評判悪い。