青葉城
仙台から戻ってきました。
昨夜は、サンプラザホールで今井美樹コンサートが開催され、終
了後に、ある大きめのカフェバーを貸し切って全員参加の打ち上
げ食事懇談会が催されました。
トレーナーの永井さんに、食事会での挨拶をおねがいすると、
僕は挨拶は苦手でして、、、と及び腰だったが、カフェバーに全
員そろったところで、永井さんよろしく!と声をかけると、今日
のライブのすばらしさは美樹さんを始め全員の力の結集のたまも
のであり、残されたあと3会場での成功をめざしましょう!
と簡易であったが心温まる開会宣言が飛び出した。
永井さんやるもんだねえ。大人だねえと感心。
乾杯の発声も終わり、ミュージシャンスタッフが入れ替わり立ち
替わり美樹ちゃんの周りに集まり、ワイワイガヤガヤと楽しそう
な盛り上がりの中、バーの片隅にあるプールでツアーマネージャ
ーのスパイク、オンザラインの高橋君、永井さんと私の4人はナ
インボールの勝ち抜き戦に興じる。
青山学院の裏手にあったレストランの地下にプールバーがあって、
随分前まではそこで毎晩のようにビリヤードで遊んだ。
ある年は布袋に一回も勝てなくて何十連敗をしてしまい、少し足
が遠のいたところに、レストランが改築されプールバーはなくな
ってしまった。それからほとんどQを握ったことがなかったので、
1番上手いスパイクに立ち向かったら勝ち目はないな。と、惨敗
覚悟の上のゲームだったが運不運が微妙に左右し、ナント!岡崎
堂の4連勝で幕を閉じた。気分を良くして、すこしワインがすす
んでしまったようだ。
朝、目覚めるとちゃんと二日酔い気味だった。頭をすっきりさせ
ようと早めにチェックアウトして、旧仙台藩伊達家の青葉城跡に
ある神社まで散歩がてら出かけた。散歩とは言ったが、とてもあ
の急峻な坂は上れないので山の上の神社の玄関先まではタクシー
で行って、境内をあちこち見て回り散歩した。
岡崎城の中には「竜城神社」といって、徳川家の守り神が奉られ
ている神社があるので、青葉城のその神社も仙台伊達家の神社だ
ろうと訪れたのだが、ちょっと違っていた。戦争で命を落とした
仙台出身の人々の英霊を奉る神社で、どこか靖国神社的な神社だ
った。
本殿脇の資料館では「男たちのヤマト展」が開催されていて、戦
艦大和に乗艦した仙台の関係者紹介があり、英霊の碑では近くに
設置されたスピーカーから「軍艦マーチ」が流れていた。
戦争が高揚され、この曲で若い兵士が次から次へと戦地へ送り出
されていった筈なのに、英霊の鎮魂の碑の前でこの曲をかけてい
いものだろうかと思ったが、それはそれとして、二日酔い気味の
思考停止状態の私には、街宣車的でもありパチンコ屋にいるよう
な感じでもあった。
本殿の鳥居をくぐると、左手にガラス箱の中に40センチほどの
大きさの獅子舞人形が置かれていて、センサーでもあるのだろう
人がその前を通るとテケテケテケテケと太鼓が鳴り、ガラスの中
の獅子が舞い踊りだすと云う仕掛けになっているお神籤ボックス
があった。
世俗の商売繁盛の願をかける戎っさんならいざ知らず、英霊の御
霊を鎮護する神社の本殿の前で、からくり人形のお神籤売りの獅
子舞かい。なにやってけっかるんやこの神社は。と、私は獅子舞
人形を全く相手にしなかったが、観光バスからぞろぞろ降りてき
た観光おばさん達には妙にウケてたな。次から次へお神籤が買わ
れ、朝っぱらから吉だ凶だと大騒ぎしていた。
社務所の隣のお守りグッズ売り場も、私がひとりで境内を歩いて
いる時は誰もいなかったが、観光バスが着いておばさん方が連れ
立って歩いてくるのを見ると、巫女さんがいそいそと奥から出て
きて売店に並んだ。神社も人を見ます。
神社脇の売店で、伊達家青葉城について書かれた本があるのでは
ないかと捜したが、そんなものはどこにもなかった。ズンダ餅と
萩の月と牛タンと笹蒲鉾が売られていただけだった。
ひとつだけ興味を引かれた本が置いてあった。支倉常長の慶長遣
欧使節団。伊達政宗がイスパニアに派遣した使節団について書か
れた本で、物語として読んでもおもしろくはなかろうが東京へ帰
る車中で間が持つかもしれないと英霊の御霊と軍艦マーチと仙台
土産とお神籤人形が混在する神社への参拝記念に購入。
仙台駅から行き当たりばったりに飛び乗った新幹線はガラガラで、
乗った車両の客は私一人だった。なんでこんなに空いてるんだろ
うと思ったが、乗ってみたら各駅停車新幹線で、東京駅までたっ
ぷり2時間半以上もかかってしまった仙台の旅だった。