2006年3月24日
BOOWYは1987のこの年の夏のイベントには幾つか参加す
ることになっていたが、どのイベントにも撮影許可は出していな
かった。
他の出演アーティストからは「ビートチャイルド」の映像化の許
可を得ていたから、イベント後に全国で展開される「ビートチャ
イルド・フィルム・コンサート」はBOOWY抜きで行われる事
になった。「なんとかならんか」とFに再三要請されたが、残念
ながらお断りをするしかなかった。
最近、Fと渋谷の小料理屋で顔を合わせたとき、
「そういえば撮影するしないであの時は揉めたよなあ」
「話し合いの最後は喧嘩口論にもなったな」
「懐かしいな。今から考えれば解散は決まっていたんだよなあ。
すでにあの時は。一言言ってくれればよかったのに」
「いやスマン。発表以前で言うことは出来なかったからな。まあ
昔の話だ」
「青かったな俺らも。仕事で怒鳴りあったもんだったなあ」
「若かったな互いに」
と、遠くを見るように酒を酌み交わした。
ベルリンでのレコーディングを終え、アルバムが発売され、もの
すごい勢いで売れていた。9月から12月24日の渋谷公会堂ま
での全国ツアーも発表された。チケットは9月の沖縄の那覇市民
会館をのぞき発売と同時に完売し、1枚も手元に残っていなかっ
た。ビートチャイルドのチケットもあっという間に8万枚が完売
していた。
1987年8月21日。熊本入りし会場でリハーサルを終え市内
のホテルに戻ると布袋からバーで一杯やりませんかと声がかかっ
た。そのバーで、これからどういう夢を持って生きていくんだろ
うと云う話になった。
自分は、昔から夢に抱いていた日本脱出。どこでもいい。世界に
飛び出して行きたいという夢を語った。子供の頃から抱き続けて
きた青臭い夢を語った。
布袋は、将来はイギリスに渡りロンドンで音楽活動をしたいとい
う夢を語った。世界に通用するミュージシャンになりたいという
夢を語った。その夜のバーの会話は忘れがたいものになった。
翌8月22日。ビートチャイルド当日。熊本県一帯に「大雨洪水
雷雨注意報」が出されていた。
夕方5時30分に幕を開けたと同時に激しい雨と風が襲いかかり、
ライブが行われた12時間中9時間が集中豪雨という凄まじさだ
った。夏の熊本とは云え阿蘇山麓は標高が高くズブ濡れになった
観客の体温を一気に奪った。この辺りの雷は上から落ちない。低
く垂れ下がった雲の合間を横に稲妻が走り抜ける。その恐怖感も
加わり会場内にいたお客さんが次々に倒れた。傾斜地を利用した
会場客席はくるぶしまで埋まる泥田と化し、ステージ上では機材、
楽器のトラブルが次から次へと発生していた。悪天候の仲でライ
ブは続けられ新たなる伝説を生み出すかのようだった。
ステージ裏に用意された楽屋では倒れて運ばれてきた人が手当を
受けていて廊下まではみ出し足の踏み場もなかった。まるで野戦
病院の様になっていた。
大音量と大声援がかき消されそうな土砂降りの雷雨の中。会場を
あとにバスは福岡へ向かった。雨で身体が芯から冷えていた。
寝てしまおう。寝よう。休もう。と思ってもいつまでも眠気はこ
なかったが、いつしかうとうとしたようで気がつくとバスは福岡
のホテルに到着していた。明け方の5時ころだった。 (続く)