2007年1月15日
1月14日に大阪城ホールで開催される「BRIAN SETZ
ER vs HOTEI vs CHAR SUPER SOUL SESSIONS」には、
14日の当日に大阪入りする予定だったが、直前になっ
て気が変わった。前日の土曜日を自宅でゆっくり過ごす
のもいいが、どうせ関西へ出向くのであれば新年そうそ
うでもあるし、霊験あらたかな神社を数社参拝してライ
ブの成功祈願と商売繁盛と五穀豊穣と家内安全と世界平
和を願おう。ついでに友人の店を訪ね美味い飯でも食お
う。と13日の正午過ぎに京都入りした。
まずは京都駅からほど近く、鳥居を寄進した伏見稲荷か
らスタートすることとした。京都駅に着き、待ち合わせ
ていたタクシーのTさんの車に乗り込み、伏見稲荷さん
へ行ってくださいと伝えると、
「あきまへんですわ。いっぱいですわ。今朝もお客さん
乗せて伏見稲荷さんへ行ったんですが、あの道狭いで
っしゃろ。車が数珠繋ぎでうんともすんとも動きませ
んでした。お客さんも時間がない言われて途中で車お
りて歩いていかはりました。ずいぶん時間かかると思
いますので、この時間おすすめできませんよってに、
いかがいたしますゥ」
とのことだったので、方針変更して吉田神社から回るこ
とにした。「月こそかかれ吉田山」と旧制三校(現京都
大学)の寮歌に唄われた吉田山にあるこの神社は、相撲
の司家である吉田家ゆかりの神社であると思っていた。
ちょうど東京国技館では初場所も開催中であるので、こ
の神社の霊験度合いがいかほどのものかはともかくもタ
イミング的にはメデタイと勝手におもいこんでつれてい
ってもらったのだが、社務所で手に入れた縁起には相撲
のことは何も書かれていなかった。どうも、あの吉田家
とは関係なさそうであったが、初場所の優勝祈願をしに
来たわけではないのでと気を取り直し、ライブの成功か
ら世界平和までヨロシクとお参りした。
吉田神社から世界文化遺産に登録されている下賀茂神社
にむかう。この神社の神域である「糺すの森」は古代山
城原野と同じ植生が分布する貴重な森であり、社殿55
棟は国宝と重要文化財に指定されている。しかし、国宝
に指定されている歴史的建造物があることもさることな
がら、京都駅から車で20分ほどのところの市街地に、
桓武天皇が遷都した奈良時代末期の古代の原野が残って
いることに驚くね。地球温暖化世界会議が京都で開催さ
れたという意味も理解できる気がした。
第2次世界大戦では、アメリカは京都を焦土と化すこと
はしなかった。ゆえに、昔の町が保存されているのだと
はよく説明を受けるけど、平安期には応仁の乱や保元の
乱があり京の都は荒廃に荒廃を重ねた時期があったにも
関わらず、千数百年も前の自然の原野が町の一角に現存
していることの方に心を奪われた。わたくしはここでも
成功祈願から世界平和まで、思いつくまま欲張りに祈願
した。
世界文化遺産登録記念に、大炊殿(おおいどの=神に捧
げる食事をつくる台所:非公開)と葵の庭(非公開)が
初公開されていたので、拝見することにした。
古代の神への供えがどういうものであったかがサンプル
で展示されていた。よくは知らないが古事記や日本書紀
編纂当時の供え物が展示されていると考えればよろしい。
魚では鰺があった。鯛があった。鮭があった。鮒もあっ
た。この鮒はたぶん琵琶湖で獲れる鮒だろう。例のあの
鮒寿司に使われる鮒である。神様へのお供えだから立派
な鮒であるのはとうぜんだが、琵琶湖にはかなり立派な
でかい鮒が生息しているのである。現在は琵琶湖の環境
も古代と大きく変わりこの鮒の生息数が激減していると
きいている。
ぶ厚つ目のスモークサーモンを寿司ネタくらいの大きさ
に四角く身を切り分けて何段も重ねて盛りつけてある皿
が2つあった。1皿は赤身の鮭で、もう一皿は白身でこ
ちらは鰆だろうか。いかにも美味そうに見えた。
どの魚も一様に黒ずんだ色をしているのは、サンプルが
古くなって埃をかぶったということもあるだろうが、薫
製にしていたのではなかろうかと見た。あの時代、鮮魚
を保つには薫製という技術以外には考えられない。
桃の節句につきものの菱形の餅もあった。薄く丸い鏡の
形をした鏡餅が7枚。その上に、横に平べったいひと回
りちいさい餅が5枚かさねられ、その上に、さらに小振
りな菱餅が3枚かさねられ飾られていた。七・五・三の
由来がこの形式にあると説明があった。何故、七・五・
三という数字であったかの由来は説明がなく、不明であ
った。
この神域にある河合神社には、この神社の家に生まれた
が重職の神官を継ぐことが叶わず、後に厭世感というフ
ィルターで藤原摂政時代の崩壊と鎌倉武家社会の勃興時
の社会をどう生き抜くかと随筆した「方丈記」の作者・
鴨長明の著書の由来となった方丈(ほぼ一間四方)の家
が復元されていた。
この家は、長明が住み処をかえるたびに持ち回ったとい
う平易組み立て式の家で、今でいうところのプレハブ住
宅で、車輪をつければキャンピングカーで持ち運べるほ
どの小振りで可愛らしい書斎的な家だったが、京都の冬
は今も昔も寒い。火桶ひとつではさぞ寒かろうともおも
った。
この河合神社にはヤタガラスをまつる社があり、日本サ
ッカー協会はこのカラスをシンボルマークとしているこ
とで有名で、ついでにわたくしは、オシムジャパンの今
後の成功も祈願した。そういえば、阿部が抜けたジェフ
千葉の行く末も気にかかる。熱狂的なジェフサポーター
である市原の寿司屋の親父の顔もおもいうかんでジェフ
の健闘も祈願して、下賀茂神社を後にした。