2007年7月3日
土曜、日曜と実家に帰った。
親父の入院騒ぎが一段落して、ここしばらくは落ち着い
た日々が続いていた。それでも、6月半ばころまでは、
ほぼ毎週実家に帰り、お前の同級生、わたくしの同級生
のことです、のナントカ君は、こんな仕事をしていて息
子さんがふたり、ひとりいた娘さんはドコドコにつとめ
ていた人と結婚し子どももひとりいるようだが、あの人
とは今はつき合いがないのかい? とか、そういえばお
前はコンサートの仕事以外で名古屋に立ち寄ったと云っ
てたが、誰とどんな話をするんだね? とか、東京の孫、
わたくしの子どものことです、は元気にやっていると聞
いているが誰かおつき合いしている人はいるのかねえ?
どんな人なんだい? 会ったことはあるのかい? R君、
わたくしの倅の名前です、は芸術学部に通っているそう
だがまじめに勉強しているのかい? なにを勉強してい
るんだい? とか、茶飲み話の相手をしていたが、親父
の身体が元気になれば、おふくろも安心だろうと、ここ
3週間ほど休日にやることもあり、つい、ご無沙汰した
ので、土曜、日曜と実家に顔を出し、両親の世間話茶飲
み話につきあった。
帰れば帰ったでいろいろなことに出会うもので、日曜の
夜、プランタンなきあとの行きつけのニューグランド・
ホテルのバーに顔を出すと、女ですからなかなか認めて
もらえませんが一流のバーテンダーを目指しますと一生
懸命酒を勉強していたEさんが、亡くなっていた。
先週?・・・
交通事故で?・・・
気まぐれだとは云われるが、まだ30を超えたばかりの
若い女性を召されるなんて、神様もむごいことをされる
ものだ。しかたがないとあきらめきれるものではないが、
このバーでの彼女と、
「見たことがない変わった酒が置いてあるねえ」
「このお酒はお客さんにすすめるために置いてあるもの
ではないんです。私が一番好きなお酒なんです。おい
しいですよ。一度飲んでみてください」
と話したことを思い出し、彼女が好きだったそのフラン
スの薬用酒(ハーブ酒)を1杯もらって、短すぎた人生
に献杯をした。
岡崎で2泊し、月曜日に戻ったが、月曜日は、その足で
仙台に行くとことになっていた。朝早くもなく遅くもな
いという中途半端な時間に岡崎をでたから、仙台行きの
新幹線の発車時刻の2時間ほど前に東京駅に着いてしま
うという中途半端なことになった。
手元には佐藤雅美さんの新刊本もある。(名鉄東岡崎構
内のキオスク書店で購入)。これでも読んで時間をつぶ
そうと、東京駅で時間つぶしをするときに行きつけの八
重洲地下街の資生堂パーラーに向かうと、地下街が大改
装中でパーラーは影も形もなかった。向かいにある千疋
屋の店長に聞くと、大改装ですからひょっとすると資生
堂パーラーはなくなってしまうかも知れませんと云って
いる。どこか別の場所をと歩き出すが、食堂、レストラ
ン、そば屋、トンカツ屋、弁当屋、土産物屋、ドラッグ
ストアー、洋服屋(だれがここで洋服を買うんだろう)
銀行窓口、などは地下に軒を並べているが、2時間ほど
腰を落ち着かせることができる適当な場所(喫茶店)は
意外とないもので、資生堂パーラーはあれはあれで貴重
だったんだなーと今更思うが、ないものはしょうがない。
しょうがないとやって日本中からひんしゅくを買ったタ
コな現職大臣が出現したが、言い訳のような説明をしな
ければ責任が取れないようじゃしょうがない。あの大臣
のしょうがないと俺のしょうがないはいったいどちらが
しょうがないのかと下らないことを考えながら歩いてい
るとマッサージ屋の前に出た。迷わずマッサージ屋に入
った。1時間半たっぷり肩や腰をもみほぐしてもらうと、
体調はすっきりとベーリー快調であった。中途半端な時
間を持てあますしょうがなさゆえの落ちつける場所のな
いしょうがなさは、一気に解消されたが、あのおっさん
のしょうがない発言は参院選まで解消されることはなく
ぼろぼろに引きづるだろうから、しょうがなさ加減は、
あのタコ大臣の勝ちであった。