2007年8月27日
観光タクシーのIさんは70を過ぎてもますます元気であ
る。呉服屋のYも、どうみても65くらいにしか見えない
なあ・・と驚いていた。車中でIさんと旧交を温めるよう
に、かって案内していただいたあちこちで遭遇したエピソ
ードをなつかしく語り合ったが、その中に、
「シャチョウはホンマお元気ですなあ」
というのがある。
数年前、鞍馬山に登ったときのこと。ふだんから車にばか
り乗っているツケがたまっていて、鞍馬山の麓の山門から
山頂近くまでケーブルカーに乗り、そこから山頂の本堂ま
で登っただけというのに、それだけで足がバテてしまった。
なにか、もう1歩も動けない感じで本堂の前で一休みした。
あの夏の日に白球を追いかけ日が暮れるまでグランドを走
り回った野球少年の姿はそこにはなかった。
お参りも済んだからこれで山を下ろうかと思ったが、そこ
からわずか登ると、義経が天狗を相手に剣の修行をした奥
の院というところがあると聞いた。ここまで来て義経ゆか
りの伝説の場所を見逃してはならじ、しかもわずかだろう、
と奥の院まで登ったのだが、そのわずかがかなりきついわ
ずかで、本堂からたった200メーターばかりの標高差の
登り道が、登っては下り、下ってはまたさらに登るという
道の連続で、奥の院にたどり着いたときは、バテバテバテ
バテになってしまっていた。伝説の地に来たのは良いけれ
ど、ここから下り登りの連続で本堂まで戻るのもシンドイ
なあと思っていると、奥の院の裏側から登ってくる人たち
がいるのを見た。聞いてみると、その裏道は下り一辺倒だ
という。ありがたい。後は下るだけだとその裏道で山を降
りようとしたのが大間違いであったとは、その時知るよし
もなかった。
下ってみるとその道はもの凄く急な坂道でしかも足下が凸
凹とした木の根道だった。木の根道は湿気を含みツルツル
と滑りやすく、時には道の脇の崖に括りつけられている鉄
の鎖につかまりながら降りなければ転げ落ちてしまうかも
しれないという凄まじい道であった。ここにきてやっと、
かって鞍馬山を下っている途中にどしゃぶりの雨に降られ、
誰がこんなところに連れてきたのよッ!
俺だって知らなかったんだよッ!
と怒鳴り合いの夫婦喧嘩をしながら麓まで下りたことがあ
ると友人のイギリス人から聞いた道はこのみちだったのか
と思い至ったが、後の祭りであった。いずれにしてももう
引き返せない。2時間以上(実際はどうであったかは知ら
ないがそう思えた)下り続け、やっと麓の人里の家々が木
々の間からチラリと見えたときは心の真からほっとしたも
のだった。下り降りたところは鞍馬山の反対側の貴船で、
歩いて一山越えてしまったのだ。精も根も尽き果てていた。
山に登ったきり何時間も下りてこないわたくしを鞍馬山の
山門の脇で待っていたIさんは、
いったいどないしたんやろーか。
なんぞ事故でもあったんちゃうかいな。
と心配していたそうで、
貴船につきました、そちらにタクシーを回してくださいと
電話がかかったときは、
山越えはったんかい!?。 無茶しよるなあ・・・
と驚いて、長いこと観光タクシーしてますが、山越えたお
客さんは初めてですよとわたくしの健脚ぶりに大いに感心
し、会う度に、
「シャチョウはほんまお元気ですなあ」
と言ってくれるのですが、実のところは健脚どころではな
い情けない話で、しかも、その日の夜から1週間ほど足が
痛くて歩くこともままならなかったのでございます。あれ
も8月16日の大文字の送り火の日の思い出でだなあ。
夕方。呉服屋のYとホテルで合流。部屋で冷たいビールを
飲みながら点火を待つ。テレビで大文字の送り火が生中継
されるよと東京のかみさんから電話が入った。8時になり、
町の灯りが消え暗くなった京都東山銀閣寺の中空の一角か
ら火の手が上がったと思う間もなく「大」の字が浮かび上
がった。しばらくすると大の字の左に流れる炎のラインの
点火台が崩れ火がこぼれたようで、「大」が「太」という
字になっているように見えた。
ありゃりゃりゃりゃ・・大じゃなく太になってるぜ。
大の横一の右側が崩れて「犬」になるよかましかァ。
とビールを煽っていると、沈火活動が成功したようでまた
大の文字にもどった。
続いて北山に「妙」「法」の火が灯る。どの文字もそうだ
が点火されている脇では僧侶による読経が続くが、ここで
は「南無妙法蓮華経」の法華経が大声量で詠まれているこ
とだろう。坊さんも暑いのにエライこっちゃな。
賀茂川の西北の「船形」が灯りはじめた。宿泊しているホ
テルはちょうどこの船形の真東あたりに位置してい、ホテ
ルの窓のど真ん中に船形が見えるのである。
テレビでは、
「船形が一番おおきく、船のてっぺんから船底まで200
メートルの長さがあり、今年初めて点火係をつとめる大
学生の某君の点火!というてっぺんからのかけ声がリハ
ーサルでは下の船底まで届きませんでした。果たして本
番は上手くいくのでしょうかァ」
と言っている。大丈夫かいね・・と見ていると、大学生の
某君の声は無事届いたようで一気に船の形に燃え上がった。
やったやったー。えらいぞ某君と拍手をおくりながら、Y
と某君に乾杯。ツマミをつまむ。あられをつまむ。ポテチ
をつまむ。
続いて北山通りの突き当たり金閣寺の辺りから「左大文字」
が灯る。心なしか真っ赤に燃え上がっていた。我々のいる
ホテルからは、嵯峨野広沢の池近くの「鳥居」は見えない。
東山の「大」はすでに消え、「妙」も「法」も「船形」も
消えた。かすかに「左大文字」が消え残らんとするばかり
である。さっきまで、
こんなにちゃんと見るのは初めてだ!
乾杯! 大が太になっちゃったぞ。わっはっはっはっ!
某君えらいぞ乾杯だ! ビール足らないよカスヤ!
と、大はしゃぎしてたYが、消えゆく火を眺めながら、あ
いつら帰って行っちゃったんだね・・・とつぶやいた。
知恩院に眠る祖父と祖母。一昨年昨年と続けて亡くなった
中学の同級生の山本と馬渕。この6月に交通事故で亡くな
ってしまった若き女性バーテンダーの井場さん。そして、
高校1年生で逝ってしまった友人Kの子息。彼等の御霊は
火の船に乗り鳥居をくぐり浄土へ帰って行ったのである。
また来年会えるじゃないか。
また来ようよ。
そうだね。