2007年10月3日
中国では10月1日から国慶節(国家成立記念日)の1
週間の長い休みに入った。テレビ朝日通りを通りかかっ
てみると中国大使館も休みのようで、普段なら掲げられ
ている五星紅旗も下ろされたままになっていた。北京の
入口君も境内君も琵琶さんも野田岩君もお銀もお休みで
ある。ゴールデンウイークを謳歌していることだろう。
だからといってこちらは関係ないのであって今日も仕事
をしている。
昨日は打ち合わせで世田谷区若林に行って来た。場所は
環7と淡島通りの交差点近くだから、目黒・世田谷・太
田区音痴のわたしにも分かりやすい場所だった。打ち合
わせが終わり、さて事務所に戻ろうかと環7にでてみる
と空車が1台も通らない。通らないばかりか時間帯は夕
方のラッシュアワーにぶつかっていて、環7は上下線と
も車が数珠繋ぎに大渋滞している。遅れるかもしれんな
あと事務所に電話をかけていると2人の客を乗せたタク
シーが目の前で停まった。これはラッキーと客が降りて
くるのを待つが2人ともお年寄りでさっさと降りるわけ
にはいかないようでモタモタと時間がかかった。以前で
あれば、すいませーんお早く願いますよと心の中で言う
ところだが、実家のおふくろも足を痛めて動きがいちい
ちもたついているから、お年寄りの緩慢な動作は相互身
である。大丈夫ですよー、時間がかかってもかまいませ
んよー、ゆっくり降りてくださいと構えて待っていると、
はたしてご老人はタクシーから降りたところでふらつい
た。アッ! 危ないですよ。大丈夫ですかと身体を支え
た。タクシーの中のもう一人のご老人は、親切にどーも
と私に声をかけおわるとタクシーの運転手さんに、では
行ってくださいと言うとドアがばたんと閉まりタクシー
は発車した。一人が降りただけだった。
しばらく空車を待ったが一向に来る気配がない。渋滞は
いつまでも続いている。では、タクシーで帰るのは諦め、
東急世田谷線の若林から電車で帰ることにした。長い間
東京で住み暮らしているが東急世田谷線は初体験である。
駅に行くと切符を売っていない。乗車は一番前の入り口
か一番後ろの入り口から乗ってくださいと案内にあって、
電車の前と後ろの入り口に都バスに乗るときのように現
金をいれる口があり、そこに電車賃を放り込むようにな
っていたのだが、その時は知らなかった。乗り込むとす
ぐ発車し、すぐ停まった。太子堂の駅だった。また電車
はすぐ発車し、またすぐ停まった駅が終点の三軒茶屋だ
った。ぞろぞろと降りる人に交じって駅を出たが改札口
などない。200円か300円かいくらだったか知らな
いが、薩摩の守忠則をやってしまった。大学時代は誰も
彼も金が無くて、ドコドコ駅から電車に乗って、メンド
クサイが途中でナニナニ線に乗り換えていくと、どれも
無人駅だからただ乗りできるぞなどという情報が重宝さ
れて、その情報をもっている奴のことを薩摩の守などと
呼んでいたものだが、あいつは今どうしているかなあと
思いながら三軒茶屋の駅を降りると、駅のまえのを走っ
ている道の方向がわからない。陽が暮れて暗くなってい
るから太陽の位置で知る東西南北がわからない。渋谷に
行くのに右へ行けばいいのか左へ行けばいいのかわから
ない。夕暮れ時に見ず知らずの街にひとりでポツンと残
されたような不安感も覚えていた。
商店街の花屋で渋谷方面は? と聞くと働かせた勘とは
反対方向を示してくれた。道を渡るとすぐ黒い車が赤信
号で停まったが手を上げている私を見おとしているよう
だ。後部のウインドウをコンコンとノックし、渋谷まで
お願いしますと言うと、パワーウインドウがすーとあき、
タクシーじゃありませんよと言われ、よく見ると赤い空
車マークも屋根のぼんぼりもなにもついてないただの普
通車だった。車の間違いというと香港を思い出す。
レコード会社のマサYと音楽団体のUと通訳のKと私の
4人で音楽祭が開かれた香港を訪れた折り、香港島の有
名なお寺にお参りした。私は純粋に仕事の成功祈願をし
たのだが、マサYとUは不順にも競馬の必勝祈願をした。
寒い時期で4人とも揃いも揃って黒いロングコートにサ
ングラスをかけていた。私などは革のロングコートだっ
た。貸し切った黒いベンツの運転手が、寺の門の前は駐
車禁止で、ここでは待てませんからお参りがすんだらす
こし離れた先で駐車していますといわれたとおり100
メートルほど行った先に黒いそのベンツは停まっていた。
あいにくなことにその貸し切った車はスモークウインド
ウであったから外からはよく見えなかったが中には運転
手がいて、たしかに我々の車だった。いや。おなじ車だ
ったので我々の貸し切った車だと思った。ドアを開けよ
うとするとロックがかかっていて開かない。
おーい早く開けてくれよゥ。
戻ってきたんだよー。
外は結構寒いんだよゥ。
暖房聞かせて温々と寝てるんじゃないぞー!
4人でドアをドンドンと叩くがドアは開かない。すこし
力を入れてまたドンドンと叩いたが開けてくれない。顔
を窓にくっつけ中を覗くと女性が運転席に座っていて怯
えたような顔こちらを見た。そこでやっと車を間違えた
ことに気がつき謝罪してその場を離れたが、まあ、もう
すこし気がつくのが遅ければ、クラクションをプープー
鳴らされ、その音で駆けつけた警察のご厄介になってい
たのだろう。車の中の女性にしてみれば、突然黒コート
黒いスーツにサングラスの男4人に車を囲まれ、ドアを
ドンドンと叩かれ開けろ! と怒鳴られているようにし
か感じなかっただろうから、そのおびえは尋常なもので
はなく気の毒としか言いようがない。特にプロレスラー
まがいの巨体のマサYとUが与えた恐怖はただならぬも
のであっただろう。
しかし、タクシーと乗用車を間違えるなんていったいど
うかしちゃってるよ俺は。数十年もの長い間、コンサー
トで日本中を旅し、見知らぬ街の見知らぬ飯屋のオヤジ
に、もう看板ですよと断られるのに、この時間やってい
る店はここしかありません、ライブが終わってアーティ
ストもスタッフも腹すかし切ってます、なんとかあと1
時間だけでいいですから店を開けてくださいと頼みこみ、
結局朝まで飲めや歌えやのドンチャン騒ぎをやらかし、
終いには店のオヤジに、いつか売れたらまたこの店の事
を思いだし飯食いに来てくれよな、がんばれよ、とまで
言わせた敏腕旅マネージャーの面影は、現代の三軒茶屋
ではどこにもなかった。
でも、テレビ番組ではないが、世田谷線のちいさな旅は
面白かった。阿川先生の「南蛮阿房列車」を読むと列車
の旅もいかにも楽しそうであったから、今度岡崎に帰る
ときは、車ではなく新幹線で行って見ようと思っている。