2008年1月28日
去年もいろいろな本を読んだ。
何月ころのことだったのか・・・・
記憶が定かではない病に身も心も冒されてしまっている
わたしには、夏前のことだったと思うんですがねえ・・
としか言いようがないが、キリスト教関係、特に人間イ
エス・キリスト(ユダヤ人)その人や、初期キリスト教
がローマ帝国やユダヤ教からの迫害の中、誰によってオ
リエントの土地からどう西欧社会に布教されていったの
かにつよく興味をおぼえ、その関連本を読みあさった日
々もあったが、それは元はと言えば、キリスト教神学で
あるスコラ哲学が確立された中世以降は「異端」として
葬り去られた数々の預言書を守り抜く一派が死の結束を
持つ結社として地下に潜りつつも、数百年を経た今日も
現存していて、ごく近年になってそれが秘密のベールを
少しづつ脱ぎだしてきたことに刺激され、初期キリスト
教は現在のキリスト教とどうつながっているのか、また
はどうつながっていないのか? に興味をかきたてられ
たからであった。
それを調べるのは困難を極めた。20冊ほど読んだあた
りで(それもやたら時間がかかったのですが)それでも
20冊ほど読み終えたあたりで、興味というちいさな懐
中電灯で照らしてもとても照らし出されるものではない
と知り(しりを変換したら尻とでました)、これは塩野
ななみさんの大著書「ローマ人の物語全15巻」を書き
起こすよりもはるかにたいへんなことだぞ、興味などと
いうささいなことで知りうるものではござらんと気付き、
しだいに尻すぼみになり、入り口は開けてみたもののウ
ロウロと歩き回っただけで退散という中途半端なものに
なった次第でした。
これはひとえに自分という人間が中途半端であることに
根があります。どうも長い読書生活を振り返ってみると、
どれもこれも興味にまかせた手当たり次第の乱読である
と思う。数千冊はあろうかという私の書棚を見て人は感
心をするけれど、あれを見れば自分がいかに中途半端な
人間であるかを証明しているかのようで、ただただ春秋
の淵に佇むばかりであります。
などといいながら、昨日も今日も明日も書店をうろつき
周り、なにかエエモンナイヤロカと探し回るのは、さら
にあらたな中途半端度を高めているとしか云いようのな
いものではあるが、仮に「読書中途半端大賞」などとい
う賞があれば、受賞間違いなしではないだろうか、そこ
までいけばひょっとしてたいしたもんやないやろかと自
己弁護するていたらくな無反省な日々でございます。