2008年3月9日
この「まぼろしの大阪」に鶴屋園十郎という仁輪加役者
のことが書かれていて、それを読んで感心してしまった
のだけれど、思いあたったのは、擽り(クスグリ)と言
うか笑いについてです。
先日車でラジオを聴いていたらこんなことがありました。
(1)
アナウンサー。
「それでは列島リレーニュースです。各地の話題をとり
あげます。富山の誰々さーん」
富山の誰々さん。
「はーい。こちらは富山の誰々です。今日はとてもめず
らしいものが獲れた。という話題です。先日、富山湾
の定置網にヒラメがかかりました。ヒラメは海底に住
む魚で、ブリなどのような回遊魚を獲る定置網にはか
からないものなんです。それだけでもめずらしいのに、
このヒラメ、目が右についているんです。背びれを上
にして腹びれを下にして、左ヒラメに右カレイと言わ
れますから、これはカレイじゃないかと口の中を調べ
てみると、歯がとても鋭くまちがいなくヒラメです。
いったいこんなことがあるのか? と富山大学の教授
に聞きますと、極まれに突然変異で目が右にあるヒラ
メが生まれることがあるとのことでした。このヒラメ。
目を右にしちゃおうってひらめいたのかもしれません」
アナウンサー。
「・・・・・・。では次は出雲から」
この番組はNHKラジオでした。翌日、またNHKラジ
オを車で聴いていると(僕はNHKマニアではありませ
ん。NHKは交通情報を頻繁にやりますから、車に乗っ
ているときはNHKにチューニングしていることが多い
のです)こんなことを言ってました。
(2)
アナウンサー。
「今日は松山から生中継です。松山の皆さんこんにちは。
ラジオを聴いている全国の皆さんこんにちは。今日の
ゲストは松山出身の漫才のABさんでーす。Aさんは
お生まれは松山のどちらですか」
漫才師A。
「私の実家は松山城ですゥー。こいつ(漫才師B)の実
家は松山城の橋のしたですゥー」
アナウンサー。
「あああああああ・・・。Bさんは昨年ご結婚されたそ
うですよね。オメデトウございます。新婚ほやほやで
すね」
漫才師B喋ろうとすると、漫才師Aが、
「そうですねん。でも結婚式も披露宴も新婚旅行もこい
つ(漫才師B)は金がありませんよって、私が全部面
倒みたんですわ。はい。全部わたしがお金をだしまし
たー。おい(漫才師Bに向かって)このことは内緒や
でェー。誰にも喋らんといてくれやァー(と大声)」
アナウンサー。
「ああああああ・・・。それでは歌のゲストです」
ということをラジオでやってました。
(1)も(2)も芸ではなくネタでもなく、洒落ともつ
かないクスグリというやつでしょう。でも本来クスグリ
を字で書くと擽りと書くくらいだから、擽って笑わせる、
時には擽って無理にでも笑わせるというものだが、この
(1)も(2)も、聴いている俺はもとよりアナウンサ
ーも笑わないんだから、富山の誰々さんも漫才師ABも
芸人としてタコなのかクールなのかまったく分からない。
ここでは、ラジオのアナウンサーなんだからおもしろく
なくとも笑うのが筋じゃないの? ゲストに対して失礼
だ。まったく最近のアナウンサーは礼儀も知らないのか!
という議論は追いておくとして次ぎに進みましょう。
クスグリのことです。
坪内祐三さんの「まぼろしの大阪」にこんな話が書いて
ありました。大阪の役者(仁輪加)鶴屋園十郎のことで
す。鶴屋園十郎はこんな役者です。
明治を代表する歌舞伎役者の市川園十郎が、大阪を訪れ
た際、自分とおなじ名を名乗る鶴屋とはいったいどんな
役者なんだと、千日前の劇場に鶴屋の芝居を観に行った
ところ、そのあまりの上手さに驚いた。という話と、
市川園十郎が鶴屋の芝居を観て、そのあまりの上手さに、
これからは鶴屋某と名乗らず、私の名である園十郎と名
乗りなさいと言った。という二つの話があります。
鶴屋園十郎は仁輪加ということですから喜劇をやりまし
た。この芸風が変わっていたそうです。
芝居がクライマックスに近づき、いかにも緊迫した展開
になり、しかめつらした科白を言っている最中に、突然、
「あー暑い」
「暑うおまんな、」
と張りぼてでできたカツラを脱ぎ捨て、汗を拭き始める
というようなことをやったという。
これは今でもよくある、いわゆるウケ狙いのクスグリで
あるが、鶴屋が演るとまったくクスグリには感じられな
かったという。
またこんなこともやったらしい。
園十郎が人力車の車夫で、妻である園九郎が客で人力車
に乗るという芝居に用いられた人力車は、横から見れば
人力車だが、実はただの張りぼてで車輪もなければ腰か
ける座席もないという物だから、人力車に乗った客の園
九郎も車夫の園十郎も進行方向を向き並んで立っていて、
二人足並みをそろえて歩き出すが、そのうち足並みがバ
ラバラになってしまう。
この芸はドリフターズが得意にして笑いをとっていたク
スグリ芸だが、これも鶴屋が演るとクスグリには感じら
れなかったという。
これはどういうことだろう。クスグリに感じられないと
いうのはどういう意味をもつのだろう。
当時の名歌舞伎役者、市川園十郎が実に上手いと感心し
たのはなんだったんだろう、
ここで「まぼろしの大阪」の坪内さんに登場してもらう
ことになるが、坪内さんは実にこのことをよく捉えてい
た。鶴屋園十郎の芸は擽っても客が擽られたと感じない
のは、その芸が実にクールで、かのバスター・キートン
の芸のようであったのではないかと。
古代ギリシャの作家はこういいました。
「悲劇性と喜劇性は表裏一体である」と。
わたしもそう思う。つまり喜劇は真剣に物事を突き詰め
ることによって立証される誤解のあり方であって、その
点では悲劇とまったく同手法である。クールでない喜劇
なんて本質ではない。
「ひらめいちゃったんですゥー」
「この内緒話。誰にもゆうたらあかんでー」
こういう話を聞く度に、自分だけおもしろければそれで
いいという芸人の多いこと多いこと。しかも朝から晩ま
で、どのチャンネルでも1年中やっている。いいかげん
に飽きて、飽き飽きして、飽きてしまっていることにも
飽きているくらいの昨今である。
明治期の大阪の役者。鶴屋園十郎の目指した夢は死に絶
えてしまったのだろうか。