2008年3月12日
Tさんは東京出身の人だがなぜかTやんと呼ばれている。
関西では、とくに大阪では名前の1字をとって「誰やん」
と呼ばれる人がいることを知っている。
芝居などで、商家の娘さんは「いとはん」と呼ばれ、番
頭さんに丁稚どんはこう言われる。
「吉やん。いとはんが曾根崎にお参りに行くさかい安生
お伴してしておくれやす」(この大阪弁は適当です)。
昔の知人で惜しく若逝したが千日前の焼鳥屋の辰野君は
たつやんと呼ばれていた。また、Kやんは関西・大阪出
身ではなく熊本の人だが、熊本から大阪に来て音楽仕事
をやり、そこでKやんとなり、その後、Kやんは東京に
でてきたが、音楽仕事仲間内では以前から東京でも名が
知れた人だったから、昔の名前ででていますとばかりに
今でもKやんであることを見ると、かならずしも出身地
が関西・大阪でなくともKやんはいるのであるが、東京
で生まれ、東京で育ち、東京の中学を出て、東京の高校
を卒業し、東京の大学に入って、そのまま東京で仕事を
している東京出身のTさんが何故Tやんと呼ばれるかは
謎だ。
Tやんとの会話。
「そういえば、糟谷は腸の具合はどーなの? 1週間ほ
ど入院してたよねえ」
「もう2年にもなるか。どーも腹が弱いらしな。風邪な
どひくとすぐ腹に来る。扁桃腺持ちが風邪ひくとすぐ
熱がでると同じようにね。で、医者が定期的に検診し
ろって言うから、毎年内視鏡で腹ん中覗いているけど
問題なしだね今のところは」
「そう。今はナンの問題もない。それは良かった。実は
俺も入院してたことがあるんだ」
「エー! それは知らなかったぞー。いつのこと?」
「場所が心臓で大事になるかもって、あまり人には言っ
てなかったんだがね。問題有りと医者が見立てて心臓
の中を内視鏡で覗かれたんだ。カテーテルってやつよ。
カテーテルって知ってる?」
「知ってる。股の付け根から細い針金のようなものを射
して心臓調べるんでしょう」
「そうそう。太ももの内股付け根あたりから細い長い
針金のようなものを静脈に入れ、血管を心臓まで遡っ
て調べるんだ。で、体毛があると細菌が入るからとカ
テーテルを射すあたりを剃毛するんだが、針を刺すの
は内股なのにあそこ一帯を全部剃り上げるんだよ。看
護婦が来てね、剃毛しますーって一物をひょいとつま
み上げて剃るんだよ。後ろも前も。世間話しながらね」
「随分暖かくなりましたねえーって会話かい?」
「で、俺もそうですねえって答えるんだけど、それ可笑
しいでしょう?」
「状況と会話がばかに離れてるじゃないか」
「でもね。そんな時って無言でやられても意識がすべて
あそこに集中しちゃうのも妙だし、結局まったくかけ
離れた世間話しかその場にふさわしい話はないんだよ
ね」
こんなことをTやんは言っていた。
この話を聞いていて、私は今年88歳になる阿川弘之さ
んの著作「大人の見識」という本で阿川さんが英国にお
けるユーモアについて書かれていたのを思い出した。
ある人が文部省の在外研究員としてケンブリッジ大学に
着いて間もなく、リチャードと名乗る数学課講師が
「イギリスでもっとも大切なものはユーモアだ」
と言ったらしい。言われたその人はそのことがよく分か
らずイギリスにいる間中ずーとそのことを考えたらしい
が、阿川さんはそのことをこう書いていた。(以下引用)
「ユーモアにはダジャレの類から辛辣な皮肉や風刺、ブ
ラックユーモアまで、多種多様な形があって、英国の
ある種のユーモアなど、英国紳士の生活や感覚を知っ
ていないとそのおかしさが分からない。だけどユーモ
アの複雑多岐な形を貫いて、ひとつ共通することは、
<一旦自らを状況の外に置く>という姿勢、
<対象にのめりこまず距離を置く>という余裕
がユーモアの源である」と。そして、
「英国人にとってユーモアは、危機的状況に立たされた
とき最も大きな価値を発揮する。まあ、そんなところ
でしょうか」と。
Tやんが一物をひょいとつまみ上げられたのが危機的状
況であったかは不明であるが、そのときの会話として世
間話が最もふさわしいと感じたTやんはまさに
<一旦自らを状況の外に置いた>
わけで、まことにセンスオブ・ユーモアの持ち主だと言
えるのではないか。だからといってTさんが何故Tやん
と呼ばれるかは依然謎である。