2008年4月14日
4月11日の午後。用事があって岡崎の実家へ帰る。
翌日の土曜日は帰路伊豆山に立ち寄る予定。伊豆山には
東京からは何度も車で行ったが、岡崎から、つまり西か
ら伊豆半島の根本を山越えして入るのは経験がない。
貴婦人(Z)のナビに伊豆山をセットする。土曜日の朝、
おふくろさんに見送られ実家を出発。一路伊豆山に向か
うが、その前に岡崎のことを。
岡崎には写真を取りにいった。
伊豆山の某居には小学三年生のかすやせんじ君が書いた
「月あかり」
という書が額装して床の間に掛けてある。
小学三年生から五年生までの2年間、町内の集会所で開
かれていた習字学校に通っていた。この月あかりはその
ころ実施された愛知県の小学生習字大会で「推薦」とい
う賞をもらった。推薦は金賞、銀賞、銅賞とは別の特別
賞で、三賞にはもれたが今後の可能性がおおいにあると
審査員から御推薦をいただいたという賞である。
この書は、子供の時分をすごした岡崎の中町の坂の上に
あった家に両親が掛け軸にして誇らしげに随分長い間か
けられていた。
推薦を受けた小学生のかすや君の書は、当初は栴檀は双
葉より香ったもののその後さして進展はなく、正座して
しずかに半紙に向かうという精神修行的な側面をもつ習
字学校に耐えられなくなり、野球や隣町のガキ共とのい
ざこざにそっせんして現をぬかすようになった五年生の
頃、そんなに通うのが嫌なら授業料が無駄であるとおふ
くろに一喝され退学してしまうことになるから、推薦を
いただいた審査員諸氏のめがねに叶うことはなかったの
であるが、今回岡崎には、その頃の写真が残っていない
か、できれば親父と一緒に写っている写真があればその
書のとなりに飾ってみたいとさがしにいったのである。
さて、翌土曜日の朝。曇り空のぼんやりとしたはっきり
しない天気の中一路伊豆山へ。表題の弥次喜多道中の弥
次はナビで喜多はわたし。ナビは女性言葉で語るから弥
次子というべきかもしれないがね。
実家を出て弥次のいう
「案内を開始します。なお道路状況にしたがって通行し
てください。次の信号を右に曲がります」
の声で車を走らせたが、ご注文の司馬遼太郎全集と藤沢
周平全集が届きましたので伊豆山にお届けします、なお
清算は現金でと本屋に言われていたことを思い出したが
あいにく現金が不足していた。弥次に従わず左に曲がっ
て銀行に立ち寄った。弥次はすかさず案内を再開する。
「案内を開始します。次を右にその次を左に・・・現地
到着時間は午後1時20分です」
と指示に従って東名高速に入り、豊橋〜牧ノ原〜浜松を
順調に過ぎる。静岡の手前で弥次が、
「この先10㎞。通行止めです。左に曲がってください」
という。喜多は
「エー! 通行止めェ? 下道を走るのかいな。時間が
いくらかかるかわからんなあ」
高速道路上の表示を見てもこの先道路工事で車線規制が
あるとは出てても通行止めとはでていない。
「おい。弥次君よゥ。案内がまちがってないかァ」
「この先通行止めです。指示に従って左に曲がってくだ
さい。現地到着時間は午後1時20分です」
「おいおい。到着時間がさっきとかわってないじゃんか。
通行止めは間違いじゃないのかね。おい。なんか言っ
たらどーなんだァ」
静岡の手前で東名は右ルート左ルートと2つに別れる。
その手前で、左ルート工事中・通行止め、右ルート車線
規制中と表示がでていて、どの車も右ルートを走行して
ゆく。左ルート通行止め地点を通過するときも、
「この先、通行止めです。左に曲がってください」
とまだ言っているから、
「君ねえ。左には行けないのだよ。しっかりしろよ!」
と弥次に話しかけると、すかさず、
「・・・・しばらく道なりに行ってください」
と案内したまま、あとは黙ったままになった。
「あんたよゥ。弥次君よゥ。あんたはナビなんだぜ。間
違ってもらっちゃ困るが、黙ってもらっても尚困るん
だよ。しっかり頼むぜ。俺は沼津からは知らない道走
るんだぜ」
と話しかけるがウンともスンとも言わない。黙テン決め
込んでるかのように完黙が続いた。
静岡を過ぎ由比を過ぎると道路脇の表示版に沼津何㎞御
殿場何㎞という文字が見えだすが、弥次君、相変わらず
の黙テン状態。
「おい。さっきの間違いは忘れるから機嫌直せよ。あと
5㎞で沼津の出口だぞ」
と言うといきなり喋ったかと思ったら
「この先10㎞。渋滞中です」
と弥次が言う。
「バカかお前は。沼津まで5㎞だぞ。10㎞先のことは
ソンナノ関係ネエのオッパッピーじゃねえか。もういい」
この時点で喜多ことわたくしは完全に弥次を信用しなく
なりました。いずれにせよ、沼津〜三島〜函南〜笹尻と
ぬければ、あとは一気の山下りで熱海の海岸にぶつかる。
ええい!ままよ。標識たよりに自力で行くまでだ! と
ナビをOFFろうと思ったが、あいにく終了の仕方を知
らなかった。
沼津を下りると弥次がまたさかんに喋りだした。この先
100M信号右だ、次を左だ、しばらく真っ直ぐだと相
手にされてないことを知らぬかのように、
「勝手に喋ってろ。世が世なら貴様はOFFだぞ。俺が
機械の操作を知らないから喋っていられるんだぞ」
と言っても、右だ左だと喋り続けている。もちろん道路
標識とおなじことだったから従った。
あれえ? 急に混み始めたなあ・・・
さっきまで順調だったのに・・:・
これじゃ何時着くかわからんなあ・・・
と思った瞬間、
「この先、渋滞です。目的地到着時間は午後1時20分
です」
と弥次が言った。
そこではじめて、弥次が静岡手前の右ルート左ルートは
ミスったものの、岡崎を出発したときから東名高速道路
後のこの国道、県道の渋滞を察知して到着時間を予測し
ていたことに気がついた。
「えらいやっちゃないかお前は」
褒められたからというわけではないが、弥次は三島の市
街地にはいると裏道・抜け道・近道を教えに教えまくっ
て、函南を越え、伊豆山に到着したのは弥次の予測通り
の午後1時20分だった。
「ごくろーさんだった。いや、一時は疑って悪かったな。
お前がいなかったら今頃伊豆半島の根本の山道で迷い
まくっていたところだったよ」
「目的地に到着しました。これで案内を終了します」
と愛想もなにもなかったが、引き際もあっさりとしてき
れいだった。
独りでの知らない道のロングドライブはナビを相手に弥
次喜多道中をすることをオススメします。助かるし話し
相手に不足しません。でも、たまに間違えることもある
かもと、道路標識はしっかり自力でも認識することも忘
れずに。