2008年5月14日
その建物は現在建築中で、建物そのものはできあがった
が内装はこれからだった。内装工事にエスカレーターを
つかうことなどありえないとばかりに、工事服務員は皆
設置はされたが動いていないエスカレーターを上り下り
しながら、大工が木材を運び入れたり左官屋がバケツで
塗料を運び入れていた。
どうぞこちらからと案内人に誘導され工事中の建物に入
った我々も停止しているエスカレーターで5階まであが
った。しかし、動かなくてもスーと階上まで上がれるの
がエスカレーターだから、気分としては階段を上がるよ
り疲れた。おまけに、その建物の5階6階部分の設計図
面をカバンにいれていたので、それが重くて5階まで上
がるうちに息が切れてきて、なんだかフラフラと目眩が
したが、それがマグニチュード7,8級の四川省の大地
震が発生した瞬間だった。
その工事中のビルの地震発生時のアナウンスは、
「ビルが不思議な揺れ方をしています。館内にいる工事
人は直ちに館外に非難してください」
と地震の発生を予定していない北京ならではのアナウン
スというものだったが、あいにくわたしには中国語は理
解できなかった。2度3度と余震があったようだが、や
れやれたかが5階を荷物もって上がっただけでこんなに
フラつくかと自分の体力の無さをナサケながっているの
みで地震だとは思っても見なかった。視察が終わり外へ
出ると、建物前の広場に人がウジャウジャいて、誰も皆
携帯で誰かと電話をしていた。なにをやってんだろーこ
の人達はと思った瞬間に携帯が鳴って初めて地震があっ
たことを知った。この時点では、誰も北京で地震が起き
たと思っていた。
四川省を震源地とする超ド級の大地震で死者は8000
人を超えるか、震源地は壊滅状態である、とは夜になっ
てはじめてインターネットで知ったが、14のチャンネ
ルを持つ中国電視台CCTV(NHK)は、この日の夜
になっても地震のニュースを流していなかった。
翌日の12日の朝。北京のロシア人街の土産ですと怪人
Tからもらったキャビアを大さじ一杯お粥にぶち込んで
塩味のきいた「キャビア粥」を食っていると、やっとC
CTVで被災地の映像を流し出した。
朝飯を食い終わって、リッツ・カールトン・ホテルの会
議室に、
怪人(日本族)日本語&関西弁。
お銀(朝鮮族)、中国語&朝鮮語&日本語&関西弁。
ティエン(漢族)、中国語&日本語。
バオ(モンゴル族)、モンゴル語&中国語&日本語。
川口(日本族)、日本語&オーストラリア英語。
岡崎堂(日本族)、日本語&三河弁&アヤシゲナ英語。
の6人が集合した。バオ君に被害状況はいったいどのく
らいの規模になっていると報道してるんだと聞くと、今
CCTVで流れているニュースは軍隊がどうした、政府
はどう対応したとかのニュースで、怪我人は、死者は、
生き埋めは何人だとかの報道はされていませんと応えた。
文化と言葉の異なる14億の人民を統制する国の報道管
制の在り方とまともに相対した北京滞在だった。
日本に帰ってみれば、成田空港で中国からの帰国便の客
に、
「すいませーん○○テレビの者です。どなたか四川から
帰った方はいませんかー? ビデオなどの映像をお持
ちでしたらお貸し願えませんかー」と呼びかけていた。
家に帰って、この○○テレビの夜の報道番組を見ると、
四川省震源地の映像を流し、北京にいるよりはるかに悲
惨な状況であると知ることができた。ただ、ついでと言
ってはナンだが、この一大事に聖火リレーをやってる場
合じゃないと見当違いな感情論を××大学国際学部教授
なるおっさんがこの番組に登場し口から泡吹いて語って
いたが、その面は馬鹿面だったことは言っておこう。
なにも語れないのも地獄だろうが、なんでも語ってもい
いというのもけっして天国ではないのかもしれない。
成田に戻ると携帯に大学の同級生の「日本最大の凌辱エ
ロ作家」の綺羅光せんせいから留守電が入っていたから、
電話をかけひさしぶりに話した。なんの話かと思えば、
お前がブログに書いていた熱海の店に行ったが、お前が
言うほどおもしろくなかったというものだったから、ま
さか俺の書くことをいちいち信用してるんじゃないだろ
うなと言ってやると、ハハハハハハハハと電話の向こう
で大笑いした。