2008年7月29日
つま恋から帰って、その翌日北京へ。
乾燥している気候の北京では夏の気温が38度にも上が
るのは特にめずらしいことではないが、それでも日陰に
入れば空気は乾いていて涼しい。
ところが今回の3日間は珍しく蒸し暑い日が続いた。週
末になると必ずやってくる夕立は例の爆弾で降らしてい
る雨だという噂があって、そのせいで今年の夏は蒸し暑
い日が続いていると北京人は言っていた。
怪人Tは、彼の北京滞在は毎回約1ヶ月に及ぶから行く
たびに違うホテルに宿泊し、いろんな場所を起点にして
北京を縦横無尽に動き回り、そうやって彼は北京を覚え
た。
故宮を中心にして今回は北側のホテル。そこから街へ出
るにはこの通りが便利だ。途中に美味しいと評判の北京
ダックの店があると覚える。
次は故宮の東側のホテルに宿泊。そこから仕事の現場に
出るにはあの道、この道、あの店、この市場と覚える。
その次は故宮の西側のホテルで、あのデパート、このホ
テル、もし住むならこのマンションと覚える。
これは滞在が1ヶ月にも及ぶ彼だから有効な手段である
が、わたしのように2泊3日の小旅行者には、しかも、
数ヶ月に1度行くか行かないかという頻度で訪れる者に
は、行くたびに宿泊する場所がかわってしまうと、広い
北京では方向さえままならず、場所に馴染む間もなく帰
国するのであるから、覚えきれるものではない。
それでも怪人は彼流を貫き、今回もはじめてのホテルを
用意してくれた。
北京のど真ん中の故宮の東の大繁華街・王府井(ワンフ
ーチン)にほど近い、できたばかりのミニホテルだった。
正確に言えば、できたばかりではなく開業寸前だった。
怪人は北京の隅々まで知っている。いや知り尽くしてい
る。このホテルをいったいどうやって見つけたのか謎で
あるが、不動産業を営む北京生まれで物件専門家のBU
Nちゃんも知りませんでしたと驚いていた。
きっと、怪人は開業目前のこのホテルに乗り込んで、
「日本からビッグパーソンがやってくる、この人が気に
入れば、このホテルは日本の音楽関係者のたまり場に
なるであろう」
などと怪人節をぶちまけたに違いない。開店前なのにわ
たしを受け入れてくれた。
ホテルスタッフの接客予行練習のような雰囲気の中での
宿泊だったが、フロントから客室係からティーサービス
係から全員でわたし一人のためにサービスをしてくれ、
それはまるで主賓あつかいで心地よく、ともかくも
「史家ハウス・ホテル」の顧客第一号の栄誉を得た。
胡同を知ってますか?
四号院を知ってますか?
胡同とはフートンと言い、横町、路地裏という意味。
四号院は建物の形のことで、土塀に囲まれた中に中庭を
はさんで四つの建物がある作りの家を四号院といい、基
本は土塀で東西南北に囲まれていて、建物は亭主の住む
南面した号(部屋)と親や兄弟が住む別の号と厨房や風
呂場がある号とに別れていて、中流階級以上のお金持ち
が住んでいる家の形である。で、今回宿泊したのは、北
京の真ん中の繁華街の一本裏通りにあるフートンの四号
院を改造したホテルだった。
ホテルには風呂付きの部屋、シャワー付きの部屋と大小
8つの部屋しかない。わたしが宿泊した部屋は一番大き
な部屋で天井は高く、寝室は淡い橙色の壁で色が目に優
しく、どっしりした中国調の寝台やテーブルが置かれて
いた。寝室に続く風呂場は青い壁でバスタブ、洗面所、
トイレはすべて白い陶器でなかなかのモダンカラーデザ
インながら落ちつける部屋だった。
チェックインしたときに部屋に係の女性がいて、届いた
ばかりの日本製のシャープのアクオス・大型52インチ
のテレビをセッティングしているところだった。
「あなたが来るから明日届くはずだったテレビを1台だ
け今日中に届けなさいといって、今とどいたところな
の。間に合ってよかったわ」
といって、うれしそうにけらけらと笑った。
シャワーを浴びる。お銀はホテル視察に訪れて、シャン
プーもリンスもボディーソープも、資生堂です! と感
心していた。資生堂は中国では非常に高名で、とにかく
品質がよい、欧米系の化粧品とは違い同じアジア人の肌
を知り尽くしていて、とても馴染むと評判がいいのであ
る。もし北京に彼女ができたらお土産は資生堂の化粧品、
とくに口紅が喜ばれますとよけいな助言をしてくれる日
本人駐在員がいるくらいである。
お銀は通訳で彼女ではないから、わたしのお銀への土産
は成田空港で買ったおにぎりで、京都の大学に留学経験
があるお銀は、
「やっぱり日本のおにぎりが美味いー!」
と2つをぺろりとたいらげた。
お銀は中国東北地方の吉林省出身の朝鮮族で、あの地は
北朝鮮の北にあたるから黒竜江の支流をさかのぼる鮭な
どは地元の魚として食っていたんだろうと思ったが、聞
いてみると意外にそうではなく、鮭は日本で初めて食べ
たという。そういいながら鮭のおにぎりを美味そうに食
った。
ホテルの前の通り=胡同を歩くと、襟と半袖の袖口が赤
い白いポロシャツを着ているオバチャンがいて店の前を
掃除していた。掃除屋さんのユニフォームかと思ったが、
またしばらく歩いていくと別の店の前には同じポロシャ
ツを着た人が3人ほどいてなにやら楽しそうに話し込ん
でいるが、誰も箒もちりとりも持っていない。
掃除屋さんじゃないのか・・・・
しかし、よくもまあおなじ服を着てるものだなとまた歩
いていくと大通りにでた。大通りにでると、今度はその
ポロシャツを着た20人くらいの若い学生のような集団
がいて、手に持ったチラシのようなものを町ゆく人に配
っている。
「あのポロシャツはいったいなんだい?」
と聞くと、オリンピック記念ポロシャツですという。彼
等は旅行者に対する街中案内ボランティアで、さっきの
胡同にいた人たちは個人で着ているのだが、まあ、オリ
ンピックの盛り上げに一役かっているのでしょうという
ことだった。お銀とBUNちゃんに、君らは着ないのか
というと、あんなかっこ悪いもの着られませんと答えた。
あちこち出かけたが、
オリンピック直前! 盛り上がってまっせー!
という感じは拍子抜けするくらいどこにもなかった。
ただ、武警とドアにおおきく書かれた車に乗っている武
装警官のパトロールがいたるところで目についた。普段
の10倍くらいはいるそうで、きっと山西省や山東省や
河北省から引っぱり出されて来ているんだろうが、とに
かくやたら武警パトが目につく。一方通行を逆送してく
る武警パトにもお目にかかった。
お祭り気分ではなく、治安一辺倒だな・・・
ホテルの前で見かけたお掃除オバチャンはオリンピック
ポロシャツにご丁寧にも赤いラインの入った白いパンツ
を合わせて履いていたからユニフォームかと思ってしま
ったのだけれど、市井の路地裏に住む市民の盛り上げ気
分の記念ポロシャツも武警との同居でイマイチ妙な感じ
だった。
初日はこの後、故宮の見えるホテルのバーで一杯飲んで
雲南料理を食って四号院・史家ハウスに帰った。帰ると
オーナーが従業員とミーティングをやっていた。テーブ
ルに切られた西瓜がのっていたから、ミーティングは終
わり、雑談していたのかもしれない。どちらでもいいが、
しかし中国の人は西瓜が好きだね。顧客第1号様のお帰
りである。全員がこちらを見て立ち上がろうとしたから、
そのままそのまま、そのままミーティングをつづけなさ
いって感じで、やあと軽く手を上げ部屋に戻ると、オー
ナーからですと、西瓜の差し入れが届いた。
夜になっても気温は高く蒸し暑い夜だった。勿論部屋の
中はエアーコンディショニングされているからとても涼
しいが、エアコンの冷気は苦手である。着替えてベッド
に横になる前にエアコンの電源をOFFにして寝た。
朝方、気温が上がってすこし寝苦しくなったのだろうか。
コンビニに入ってマンガ本を捜している夢を見た。
手塚治虫の文庫本サイズのマンガ本で4冊あるが、1巻
と2巻と6巻と8巻があってあいだの巻がないので、な
んだか真剣に捜している夢だった。