2009年3月16日
ひさしぶりの登場のござるのH氏が、某S社OBゴルフ
会で球をあっちへこっちへと飛ばした後で、ソーセージ
を抱えて寓居を訪ねてきた。これはなにかと尋ねれば、
御殿場にある二の岡ハムのソーセージだという。
長谷園の燻製機をこうたよ。
ハム、ソーセージ、チーズ、蛸、烏賊など自家燻製して
食べたら美味かろう。
冷たいビールや冷たい白ワインに合うやろな。
とわたしが言うのを聞きつけ、球転がしの後、ソーセー
ジ持参で訪れたのである。
燻製の作り方。
土鍋の底にアルミ箔をひいて、その上にチップを乗せ、
気持ち深めの土鍋に2段になった金網の、下に設置する
小金網に厚めの食材を、上におく大金網に薄切りの食材
を乗せ強火で土鍋の底を焙る。
3分程するとチップに火がまわり煙が出始める。
そこで、鍋に蓋をする。
蓋をして6分程経つと鍋と蓋の隙間から煙がぽにょぽに
ょと出てくる。
すかさず、煙が外に漏れないように鍋と蓋の隙間に水を
入れる。
入れ終わったらすかさず火を止める。
そのまま20分待つ。
この20分の余熱で食材には火が充分入り、煙は充満し、
みごとに燻される。
結果は上々だった。
まあ、ソーセージの美味いこと美味いこと。
どこかで買うスモークソーセージの数百倍は美味かった。
スモーク蛸も良し。
スモーク烏賊も良し。
スモークチーズも良し。
で、みるみる白ワインが1本空いた。
美味い勢いはおとろえることなく白ワインでは足らず赤
も1本空いた。
それが1週間前のこと。
ござる氏が持ち込んだソーセージを調べて見ると二の岡
ハムは、昭和の初期に御殿場を避暑地として発見したア
メリカ人がそこに住み着き、牧場を経営し、牛を育て豚
を育て豚肉をソーセージにして売り出したのが始まりと
いわれる。昭和の初期のことだから科学的な添加物はな
い時代だから、それらのものは一切つかわないという製
造方法で、今も守られている。
昭和の中期になると世界をとりまく状況が不穏になり、
日米開戦間近となり、牧場主のアメリカ人は故国に帰る
べく御殿場を去るが、当時のハム職人が跡を継ぎ、戦争
を生き抜き、牧場を守り抜き、製法を守り抜き、当時の
ハム・ソーセージそのままの味が現代に生き残るのであ
る。
このソーセージはネットで買えるが工場というか二の岡
ハム屋の姿を見たくなって昨日の日曜日にドライブがて
ら箱根峠経由で御殿場に行ってきた。
芦ノ湖から仙石原を抜け、乙女峠を越えればあとは御殿
場まで1本道の間違えようのない道だが、どういうわけ
か道をよく間違えた。右に曲がるところを左に曲がり、
左折するところを右折し、そのたびにUターンを繰り返
した。この道は、子供がちいさかった頃毎年のように元
箱根、宮ノ下、強羅、小涌園、大湧谷、芦の湖畔、仙石
原とでかけた衆知の道なのだが、あっというまに記憶は
消去されたらしい。まあ、芦の湖畔の1本道は休日の午
後はかなり渋滞するから、それを避けるために当時は通
らなかった箱根新道やら芦ノ湖スカイラインなどを利用
したから出入り口が不案内だったのだけどね。
それとも、毎日入ってくるスパムメールを消去しまくる
から、デリートの神様が怒ったのかもしれんな。
たどり着いた二の岡ハム屋は畑に囲まれたおおきな農家
で、そこにちいさなハム工場が建っていました。
で、時間はかかったが首尾良くソーセージを手に入れた
わたしはこんどは燻製ではなく蒸し器で食してみました
ところ、橙のポン酢とゆずのポン酢とミツカンポン酢と
カツオダシを調合し薬味に摺り下ろニンニクを入れたつ
けだれが大正解で、ピンポーン! と大当たりでありま
した。
風呂上がりの冷たいビールから始まり、あっというまに
白ワインが空き、ワイン無き後はよせばいいのにウオッ
カソーダまでかっくらって(飲むのに食らうはなかろう
が)今朝の早朝5時から始まるWBC、ジャパン:キュ
ーバ戦を観るために早々と寝たのであります。
朝目が覚めたとき、どういうわけかダルビッシュが投げ
ていて9対1で負けている夢を見ていた。はたして正夢
か逆夢か。侍ジャパンの戦いやいかに。
ちなみに、めぼけまなこで朝刊を読めば今日の運勢は、
人の言うことを素直に聞き商売繁盛、となっていました。
なんのこっちゃ。