2008年10月20日
夢の中から帰ってきたような気がする。
夢の中というのは東大寺のことである。
<東大寺・大仏殿>
東大寺は、華厳宗のお寺です。その根本的教えを説く、
「大方広佛華厳経」は、時間と空間を超えた佛を説いた
教えであり、偉大で、正しく、広大な佛の世界を菩薩の
さまざまな実践の華によって飾ることを説くお経です。
華厳経では佛とは、毘盧遮那(ビルシャナ、サンスクリ
ット語では、ヴァイローチャナ)佛のことを指します。
その意味は、あまねく照らしだしている無限の光明その
ものであり、光明遍照と漢字では訳されます。
お釈迦様が無限の修行をして悟りを開き、人々を救う為
に蓮華蔵世界という悟りの教主になられたお姿でありま
して、まことに人間的な佛様であります。
と、華厳の教えに解説されています。
光りが遍く世界を照らし、菩薩の救済の花が咲き乱れる
ところ=華厳の浄土=東大寺ということでありますから、
まさしくわたしは夢の中にいたのです。
このコンサートは全てを布袋が演出しました。わたしは
中門の前にある階段に、照明家の林さんと並んで腰かけ
観ていたのですが、大仏殿の1階の上部にある年に一度
しか開けられることのない大仏様のお顔の前にある扉が
ひらかれていました。照明の光に浮かび上がったそのお
顔はなんとにこやかで、布袋、キャスト、スタッフ、そ
してすべてのお客さんを祝福をされているようでした。
そもそも、聖武天皇の発願で天平勝宝四年四月九日。春
の花が咲き乱れ、色とりどりの旗のひらめくなか開眼供
養の大法要が執り行われたと日本書紀にありますが、日
本国内ばかりでなく韓国、中国、とおくインドからも高
名な僧が訪れ参加し、読経と声明と雅楽と舞踏が乱れる
中での古代アジアを代表する一大エンターテイメントイ
ベントであったのでございましょうから、布袋の演出し
た今回のイベントは大仏様はお好きであったのでござい
ましょう。
快晴という恵みもいただきました。ダンス ウイズ ザ
ムーンライトという曲では、東の空に月がのぼり照り光
っていましたが、これは布袋の演出ではなく、大仏様の
心からの演出であったように思えます。毘盧遮那仏と過
ごせた三日間は、やはり夢の中でありました。
東大寺に3冊の本を持ち込んだのですが、どれも読めま
せんでした。色と金のこの世の世界を見事に裁く拝郷鏡
三郎の捕り物の物語りも大仏殿にはそぐわなく、200
年以上前の1787年製のワインの物語りも天平勝宝四
年からみればあまりにも近代過ぎたし、カール・セーガ
ンの宇宙の預言も華厳経の持つ無限の広大さにはかなわ
なかいような気がしたからです。
で、さっそく東大寺をこの際理解してみようと無理な発
願をしたついでに、大仏殿で「東大寺史へのいざない」
という本を買って読みましたが、東大寺小綱職であった
堀池春峰さんの文章がすこしだけ教科書的で、子供の時
から教科書が苦手であったわたしには馴染めないもので
したから、東大寺史研究所編のこの本ではなく、経学部
の発行した「奈良の 大仏さま」という子供向けの絵本
を買い読んだところまことにわかりやすかった。このこ
とは、本来子供が知るべき知識すらわたしは持ち合わせ
ていなかったことを指しているのでしょう。
おもしろかったのは、大仏様をお参りするときは、
「お賽銭をあげて幸せを祈りましょう」
と子供に教えるなど、ちゃっかりしていることこであり
ました。
コンサートが終わり、東大寺・朝日新聞の皆さんの好意
で東大寺に隣接する天平会館でパーティーが開かれまし
た。その会場で平岡氏という東大寺の僧侶と知己を得ま
した。
平岡僧侶は若い頃、パリからアフガニスタンまでヒッチ
ハイクをしたことがありますとお話されたので、
「教典を求めた玄奘三蔵法師の旅だったのでしょうか。
それともヒッピー風の旅だったのでしょうか」
とお訊ねすれば、
「三蔵法師ではありませんでしたなあ」
とお答えになる気さくな方で、現在は東大寺の要職であ
る財務部長職=東大寺のCFOにある人でありましたか
ら、知り合ったばかりで立ち入ったことを聞くのはイカ
ガカナとは思いましたが、赦しをいただき質問しました。
「東大寺の経営はどう成り立っているのでしょうか」
「ほとんどが拝観料です。国宝、重要文化財などの修理
には国からの援助がありますが、寺全体の運営は基本は
拝観料ですなあ」
とのことでしたから、訪ね来る子供達に、お賽銭をあげ
て幸せを祈りましょう、皆さんが東大寺大仏様を支えて
いくのでありますよ、との教えも当然でありました。
19日の日曜日。京都から新幹線に乗り、この幸福な気
持ちでお湯に浸かればまるで極楽ではないかと午後1時
頃熱海で下車。コンサートのライブレコーディングで参
加してくれたG・H氏が熱海に住むから、一緒に帰った。
午後の早い時間とて大浴場には誰もいなかった。普段は
カラスの行水だが、今回は温泉にゆっくりと1時間も浸
かった。大浴場の黒い御影石の縁にタオルをひいて頭を
のせ、プカリプカリと浮かんだ。午後の光りがお湯にき
らきらと揺らいで自分の全身がきらきらと光っているよ
うだった。
温泉をあがってマッサージマシン2回まわしで全身をも
みほぐす。いや、極楽極楽でありました。
夕方G・H氏宅を訪問。冷たいビールをご馳走になった。
奥方は、昔わたしがBOOWYを手がけていた時代、ど
うしてもレコードセールスで勝つことができなかったス
ーパーバンドの女性ボーカリストで、奥方とも久しぶり
のご対面だった。あれから20年も経つというのに、体
型はあの時のまま。チャーミングなフェイスもキャラク
ターもまったく変わっていなかった。
海の傍の高台に立つ家の居心地の良かったことこの上な
し。きっと訪ね来る人々を心からウエルカムするふたり
の気持ちがそうさせたのだと思う。また、ふたりの間に
生まれた2歳の女の子が天使のように可愛らしく、2日
間、家を空けたGH君にまとわりついて喜んでいた。
それを目にすると、GH君に近所の美味い寿司屋があり
ますと招待されたとはいえ、GH君をつれだして食事に
行くことが、その女の子に申し訳なくて・・・。
GH宅をでるとき、玄関でバイバイと手を振ってくれた
女の子が愛おしくて・・・。
熱海から南にすこし離れたところにある下多賀神社で秋
のお祭りをやっていた。寿司屋のカウンターで地物の魚
をいくつか食べ、日本酒を飲んでいると遠くから太鼓と
お囃子が聞こえてきて、山車が店の前を通り過ぎ、また
遠ざかっていった。いかにも地元のちいさなお祭りらし
く、はなやかで、淋しげで、山車に乗っている子供達の
声が遠ざかっていく情景に祭りの後の悲しみがあった。
まだ、夢の中にいるようだった。