12月16日
いよいよ年末が近づいてきて「師走る」あわただしい毎
日となっている。今年は暦の関係で年末の休みがながく、
したがって締め切りが早い。気分はメリークリスマス即
冬休みだから、たまたまなれど今年はいかにも欧米的だ
なあ・・と思っていたところに、アメリカからこんな連
絡が入った。
「ハロー。センジサン。
お問い合わせの件は12月16日よりクリスマス休暇
にはいりますよって、年明けましての回答とさせてく
ださーい」
連中は今日からクリスマスホリディーに突入したようで
ある。なんとも羨ましいことだが、そもそもクリスマス
は仏教徒であってクリスチャンでもない我々には関係な
い催事である。休みが短くてもしかたない。が、仏教徒
以前の古代日本には、冬には一年を締めくくり=あたら
しい季節の来るべきを祝う催事があった。新嘗祭である。
「天皇が旧暦11月23日に、護国の新穀を天神地祇に
勧め、また、自らもこれを食して、その年の収穫を神
に感謝する祭儀」
で、秋に新穀を得て供え神を祭る稲作儀礼である。
古代日本とは書いたが、稲作儀礼であるから弥生式で、
縄文式にはなかったものだから、さてはじまりはいつの
ころか。調べてみると、飛鳥時代の第35代天皇で、皇
極元年1月15日(西暦642年2月19日)に即位し
た皇極天皇がはじめたと伝わる。
第33代推古天皇から一代おいて即位した女帝である。
本棚にあるリットーミュージック刊「ミュージックビジ
ネス」というぶ厚い本のとなりのさらにぶ厚い「日本皇
室大鑑」宮内庁資料編纂会刊に掲載された皇極天皇の肖
像画を見ると、推古天皇や第41代持統天皇のいかにも
皇室的な公家顔ではなく、NHK大河ドラマ篤姫にでて
くる中村メイ子さんのような目鼻立ちがおおぶりなお顔
で、その大きな口元はしっかりと閉じられ、いかにも意
志の強そうなお顔をされている。
推古天皇の御名は「豊御食炊屋姫尊」。
読み方は、とよみけかしきやひめのみこと。
漢字をみれば、豊かなるものを炊いて食べる家の姫様。
皇極天皇の御名は「宝天豊財重日足姫尊」。
読み方は、あめとよたからいかしひたらしひめのみこと。
漢字を見れば、天の恵みの宝が重なって毎日足りている
姫様である。
くわしいことは何も知らぬが、稲作農業生産を主にする
古代天皇制がいよいよ始まって、政権がますます安定し
ていく時期の天皇であることが名前で表されている。
新嘗祭がはじまるのもうなずける名前である。
この祭儀は現在も行われていて、現天皇家の大きな仕事
のひとつである。また、旧暦ではあったが、11月23
日が勤労感謝の日として祝日にもなっているから、この
祝日があるのは皇極天皇のオカゲといえるのだろう。
いずれにしても、北半球では冬至から春分、夏至、秋分
を経て農作物は収穫される。そしてまた冬至を迎え、作
物の再生産へと移ってゆくこの時期は、あたらしい農作
物の誕生=あたらしい命の誕生に向けての重要な時期で
あり、イエス・キリストがこの時期に生まれたとされる
のはあまりにも象徴的である。
このあたりの事だけを取り出せば、聖徳太子が本名を、
「厩戸・うまやど」といい、厩戸の前で出生したゆえに
そう名づけられたと日本書紀にはかかれているが、イエ
スの出生譚とそっくりで、西暦500年代には500年
前のオリエントの神の物語が伝わっていたんじゃないか
との想像も充分ありうるのである。
もし、シャカが生み出した仏教がインドに定着してイン
ド固有の宗教になっていたら、僕らは仏教徒ではなかっ
たのかもしれない。幸いというか不幸というか、古代イ
ンドはヒンドゥ経の国で、バラモンを頂点とする身分制
度でがちがちに固まっていた。人類の平等を唱えたシャ
カの仏教は受け入れられるはずもなく、北インドからあ
る者は東へネパール・ブータンへ。ある者は迫害を受け
西のカシミールからガンダーラへ、そしてゴビ砂漠を渡
って古代中国へ、そして韓国、日本へ伝わって、聖徳太
子からはじまり余興説の大河の歴史の末に僕の家は浄土
宗。
古代糟谷家がどこにあったか知らないが、仏教が伝来し
なかったのなら、農作物の収穫が終わってあたらしい種
をまく春が来るまでは、ながーい冬の休みがあったのか
もしれない。かもしれないが、歴史にたらればはないよ
うに、休みにもたらればはないのかもしれない。